東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが国に損害賠償を求めた集団訴訟の判決が言い渡された最高裁第2小法廷=6月17日午後(代表撮影)
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最高裁判所第2小法廷は、東京電力福島第1原子力発電所の事故で避難した住民らが国と東電に対し、損害賠償を求めていた4件の集団訴訟で、国の責任はないとする判決を言い渡した。
4件の訴訟は福島、群馬、千葉、愛媛で始まったものだ。2審の高裁判決では福島、千葉、愛媛の3訴訟で国の責任を認めたが、群馬訴訟だけは東京高裁が国の責任を否定していた。
同種の裁判は多数の地裁でも行われているが、国の責任については、認定と否定が相半ばする状態となっている。このままでは混乱が増すばかりだった。最高裁の判断が係争中の訴訟の審理の円滑化に寄与することを期待したい。
今回の裁判では「福島第1原発を襲った巨大津波を国が予見できたか」「予見可能であったとして、事故を回避できたか」の2点が主要争点となった。東電への国の規制権限が適切に行使されたかどうかが問われた裁判だった。
国の地震調査研究推進本部は、平成14年に「三陸沖北部から房総沖にかけてマグニチュード8級の地震が30年以内に約20%の確率で発生する」などの長期評価を公表していた。
最高裁の法廷では、実際の地震は想定を大きく上回るもので、東電に津波対策を命じていても浸水は防げなかったとする国側の言い分が認められ、勝訴した。だが賠償責任を免れたことで国が胸をなで下ろしていては大間違いだ。
そもそも、原子力発電は「国策民営」で営まれてきた大型エネルギー事業である。その原発が巨大津波で被災して放射能の広域汚染を招き、多数の人々が避難したことに思いを致したい。
国の賠償責任などが問われる訴訟での最高裁の審理では、著しく合理性を欠いた対応か否かが重視されるようである。
突出した不合理性はなかったというだけであり、全面的に是認されるわけではあるまい。
福島事故の痛みは今も続くが、資源貧国で島国の日本にとって原発は、エネルギー安全保障上も欠くことのできない基幹エネルギー源である。
国は最高裁の判決を謙虚に受け止め、国民に対して原子力発電の必要性を丁寧に説明し、理解を深めてもらうべきだ。原発の安全にも稼働にも国の責任は大であるとの自覚が必要だ。
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2022年6月18日付産経新聞【主張】を転載しています